公正

先日、「デジャヴ」という映画を見た。その中で、デンゼル・ワシントン扮する敏腕捜査官が、確信犯のテロリストへの取調べにおいて「考えてみると独立戦争愛国者も、敵から見れば、ただのテロリストだものな」と巧みに誘うと、テロリストはわが意を得たりと身を乗り出して「そうだ!そのとおり!」と叫ぶシーンがあった。

この社会は、原則として誰に対しても自由が認められている。
しかし、他者の自由を力ずくですべて奪い取る(つまり「殺す」ということ)という蛮行を「自由」と呼んではならないことは誰にでもわかる。そして、その行為の理由が、私怨であろうが、公憤であろうが、同じことのはずである。

では、社会正義に基づく(と本人達は信じきっている)思想としての「革命」はどうなのか?
はたまた、多くの国家において正当な行為とされる、国家間の紛争を武力で解決する行為、つまり「戦争」はどうなのか?

六十数年間、平和を唱え続けてきた都市の市長が殺されたことに対する、市民・国民の怒りや悲しみ、そして「恐れ」を見ていると、つくづく思う。

法は何のためにあるのか、倫理は何のためにあるのか、社会とは何のためにあるのか。

いや、公正であることとは何なのか?

こういうことを考え出すと眠れなくなる。
明日は朝早いので、これくらいにしておこう。