加川良、丸山圭子、岩井宏


最近アマゾンで購入したCDを三枚並べてみた。
上は、加川良「親愛なるQに捧ぐ」、下は、左が、丸山圭子「そっと私は」、右が、岩井宏「30才」。
いずれも1972年頃の作品である。(もちろん復刻版CD)
こんな懐かしい、レアなものがネットで買えるようになって、うれしくて仕方がない。(しかしこんなマニアックなものが商売になるのだろうか!?)

「フォーク」などという音楽ジャンルは、とうに消滅してしまったのは承知しているが、20代の若者が、そんな時代なんて何も知らずに「ゆず」だとか「コブクロ」を喜んで聞いているのを見ると内心ほくそ笑んでしまう。
しかし、30代から40代前半くらいの世代になると、時々「フォークはよかったよね!拓郎!こうせつ!陽水!アリス!さだまさし!いいですよねぇ」などと、無理にこちらの世代に合わそうとする人がいる。

70年前後のフォークシーンを中学生として、ギリギリ原体験した私から言うと、拓郎やこうせつなどは、「フォーク」が商業ベースに乗り、全国津々浦々にまで「流行」しだしてからの人たちであって、断じて70年前後の全共闘学生や、新宿フォークゲリラに集まったノンポリ学生達が歌った「フォーク」とは「似て非なるもの」と言わざるを得ない。実際の分岐点は、72〜73年頃だと思うが、そのきっかけというか象徴的な場面が70年の「中津川フォークジャンボリー」だった。高田渡加川良・岩井宏のいわゆる「三バカトリオ」(命名山本コータロー)がメインステージで「自転車に乗って」を歌おうとするとき、広島弁の大声でヤジを飛ばして邪魔をした男こそ、誰あろうサブステージで「人間なんて」を絶叫して大反響を呼んだ吉田拓郎だった。渡は拓郎の野次に対して「拓郎いつか殺してやる」とつぶやいた(ライブ盤にちゃんとこの言葉が残っている)が、拓郎が肺がんから復帰した陰でひっそりと先に死んでしまった。

拓郎は、それまでの「反体制」「四畳半」というキーワードに代表されるフォークのイメージを根本から変えてしまった。それでもこの70年頃は、まだ他のフォークシンガーと似通った激しいアジテーゼの歌(人間なんて、イメージの詩など)が多かったのだが、72年に「結婚しようよ」が大ヒットし「旅の宿」と続くと、すっかり恋や愛を中心にすえたものに変わっていった。その後のさだまさしやアリスなどに代表される「軟弱フォーク歌謡」の元祖が拓郎だとまでは言わないが、拓郎が時代を変えたことは事実である。日本のフォーク史を二期に分けるなら「拓郎前」と「拓郎後」だろうと思う。

さて、写真の3枚はいずれもそんな「過渡期」と言える微妙な時代に発表された作品である。
私の言う「拓郎前」の岡林信康小室等六文銭五つの赤い風船(西岡たかし)、フォーククルセイダーズや、「拓郎後」の、南こうせつかぐや姫さだまさし、チューリップ、RCサクセション、海援隊ユーミン、アリスなどはいまだに根強いファンが多いが、この「過渡期」に登場した、写真の3人らは、いずれも未だに中途半端にしか認知されていない。メッセージフォークの激しさと商業フォークや後のニューミュージック(なるもの)の都会的センスを併せ持つ幅のある音楽性は、もっと評価されてもいいと思う。

加川良は一時は「東の拓郎、西の加川良」とまで言われた人だが、特にこのアルバムに収録されている「下宿屋」は今も語り継がれる名曲である。当時京都にいた高田渡の安アパートを題材にした語りの中に渡の素顔や岩井宏も登場する。「たぶん僕は死ぬまで彼になりきれないでしょうから」と酔いどれ詩人高田渡を慕う加川の情が素直に出ていて、いまだに聞いているだけでせつなくなってくる。

丸山圭子というと、後に「どうぞこのまま」を大ヒットさせて、そのまま消えていったシンガーという一般的な印象しかないが、この人は、エレックレコード創立時代からの「フォークシンガー」であり、名盤「黄昏メモリー」(これも最近復刻版が出た。もちろん買いました。)を今聞くと、都会的な洗練された歌い方と情感のこもった歌い方を使い分ける実力は、ちょうど、ユーミン中島みゆきを足して二で割ったような感じと言えばわかりやすいと思う。私は、「黄昏メモリー」(76年発売)を大学時代に下宿で毎晩聞いていた思い出があり、あの頃が鮮やかに蘇ってくる。写真のCDは、佐藤公彦(ケメ)とコンビを組んだりしていた時代の大変レアなもの。

岩井宏は、前述の70年中津川のあとは、レコード会社のスタッフとして、あるいはバックミュージシャンとして音楽活動に係わっていたが、写真の「30才」は、岩井が30才になった記念にほぼ自主制作ともいえる形で製作したアルバムである。後にも先にも、この人のソロアルバムはこれ一枚きりである。数年前に交通事故で急死した岩井宏を知る人はもう少ないだろう。

面白いのは、当時の彼らのバックミュージシャン達だ。
加川の盤のバックには、はっぴぃえんどの細野晴臣大瀧詠一松本隆木綿のハンカチーフの作詞者)などが加わっているし、丸山圭子の「黄昏めもりぃ」(写真のものではない)には、バックに山下達郎大貫妙子が参加している。まだ、「ニューミュージック」というジャンルはなく、「フォークソング」が表にいた時代だったのだろう。