龍馬の顔

昨夜、最終の出張帰りで心も体もボーっとしている身には、投票日と言われてもピンと来ない。
日本経済やら日本国の政策遂行の、末端の末端のさらに最末端あたりで仕事をしている私のような人間であっても、「ビジネスモード」のときには、刻々と変化する世界情勢やら経済情勢を常に意識しながら、所属する会社の発展や利益のため、自身や愛する家族の利益のために、必死で、少ない脳みそを回転させ、老いぼれた肉体を酷使しているわけだが、休日を得てモードが一旦切り替わると、途端に「市民」になってしまい、自然や環境の悪化に心を痛め、社会の歪みに憤りを感じたりもする。

そんな「市民モード」のときに、地元市会議員選挙の投票に行ってきた。

国政選挙ならまだしも、このレベルの選挙には興味も関心も全くわかない。
しかしまぁ、とりあえず嘘でも何でも「市民」になっている今日くらいは「市民の権利」を行使しようじゃないかと自分を叱咤して投票に行った。で、とりあえず、投票所近くの選挙看板に貼られたポスターから決めることにした。

各候補ともスローガンやら何やらを仰々しく掲げて、作り笑いがミエミエの満面の笑みを公衆にさらしている。主張の内容は「大統領選にでも立候補したつもりかい!」とツッコミを入れたくなる大仰なものから、落書き以前の稚拙なもの、誰にでも書ける通り一遍なもの、所属する政党の主張を丸写ししたもの、などなど。。で、アホらしくなってきて、自分なりの審査基準で決めることにした。

【顔で決める】
これである。もちろん、美女美男コンテストに投票するつもりはないから、顔の造作や美醜は関係ない。
私の基準では、卑しさや品性の下劣さがにじみ出ている顔はダメ。これを選別するのは簡単なことで、日頃の「ビジネスモード」のときの、自身や周りの卑しい・脂ぎった顔つきを思い浮かべればいい。

ところが、ほとんどの候補者がこの選出方法で消え去ってしまった。
とりあえず、残った3人ほどの候補者の顔つきを再度眺めてみる。うち二人は女性。一人は「市民派」とやら、一人は「○○党公認」、一人は「若い力を市政に!」と書いてある。中年以上の男性候補者は「市民モード」の私の中ではすべて落選である。ざまあみろ。

結局、私の投票行動は、自身の日頃の行動への批判というか懺悔になってしまった。

若い頃の純粋無垢な正義感や情熱はとうに捨て去り、ブクブク肥え太り・醜悪な卑相にもかかわらず、精一杯の作り笑顔で「日本経済」を牽引してきた中年・熟年親父たちよ、どこへ行く?

この国が、市民モード中心の社会に成り果てたなら、龍馬が脱藩したように、国を捨てて放浪の旅にでも出ようじゃないか。

それにしても、龍馬は良い顔をしている。